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No.52 養生訓(野口晴哉先生)
◎「整体協会」の故・野口晴哉先生の残された「養生」「生と病」についての言葉です。
その深い考察、心にしみいるものがありますよね〜! 空いた時間に是非お読みください!
《養生》
養生とは人間の生命を輝かすことだ
人間の生くる処を拡げ人間の活き活き生くる道を養生というのだ
養生を目して 可し可からずの集積のように考えるのも間違いなら可し可からずを養生とすることも間違いである
何を食っても旨く 如何に働いても疲れず どんな場処でもグッスリ眠れ
少ない食物からでも栄養を豊富に得 短い時間の眠りで新しい元気を得
働いて疲れず 眠って夢見ず 寒暑風湿を快く感ずるよう生くることが何よりの養生であるのだ
寒暑風湿を避け 眠りを多くし 働くを少なくし 食うを多くし不平を大にして生きてゆくことは 不養生のもっともなるもの

無病であろうとし 無事を保とうとして 之れらのことなしても矢張り不養生なることは同じ 人間を萎縮せしむるものだ
人間の生くる場処を狭くするものだ
人間から溌剌として生くる元気を奪うものだ
養生とは無事を保つことではない
養生は無理を無理なく用うることだ
無理のない養生は不養生の一つだ
護ることもとより大切だが 鍛えることはもっと大切だ
鍛えるということの出発点は心にある
行為そのものに鍛えるということがあるのではない

断食して丈夫になる人あり 餓死する人あり
食いたくとも食わぬ人には断食は健康法になり
食いたいのに食えぬ人は餓死する
生と死の境「わ」と「え」のみ
養生の第一歩は心の「わ」と「え」を切替えることにある
「え」から出発した如何なる行為にも鍛えるということは含まれてはおらぬ
「わ」から出発した如何なる行為も人間を鍛える

人間の体自身 髯をそれば濃くなり 腕を使えば太くなるように
出来ている
人間のもつ自然の力を溌剌と伸ばすことに 
養生の養生という所以があることを忘れてはなるまい
《全生》
生きているということは死に向かって走っている車の如きもので、
その目的に到着することが早いのがよいのか、遅いのがよいのか判らない。
しかしともかく進み続けていることは確かである。
一日生きたということは、一日死んだということになる。
未だ死ななかった人は全くいなかったということだけは確かであるが、
その生の一瞬を死に向けるか生に向けるかといえば、生きている限り
生に向かうことが正しい。
生の一瞬を死に向ければ、人は息しながら、毎秒毎に死んでいることになる。
生に向けるとは何か、死に向けるとは何か、この解明こそ全生のあげて
為すことである。

溌剌と生くる者のみに深い眠りがある。
生ききった者にだけ安らかな死がある。
《体育》
体育というと、スポーツを思い浮かべる人が多いが
勝負を争うことに中心をおけば、選手だけが汗を流し、他は坐して眺めて
いるということが言えます。
一人一人が全力を発揮するよう動作するようにならねば、スポーツを体育に役立てるわけには参りません。
体育とは、勝つことでも、良いポーズを示すことでもありません。
人間の持っている力に気付いて
その可能性を拡げる気構えで行動することが体育の中心であらねば
なりません。
体育の心が開拓されれば、日常の一挙手一投足を、体育的に鍛えることは
出来ます。
そうなって体育が日常生活に根をおろしたので
休み時間にボールを投げ合って体育が行なわれていると考えるのは
表面に眼が捉われているといえます。可能性の自覚こそ体育の中心です。

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